いつもWebの情報など参考させていただき購読しているブログ「ホームページを作る人のネタ帳」さんが親父よ。あんたは幸せだったのかい?と題したエントリーをアップしていた。
なにげに読み出したら、止まらなくなり一気に最後まで読んでしまった。
私の父は存命だが、やるせなくなった。
介護が必要で施設に入っている、見舞いなどで月に何度か訪問する。
痴呆が進む母に比べまだしっかりしている親父だ。
いつもWebの情報など参考させていただき購読しているブログ「ホームページを作る人のネタ帳」さんが親父よ。あんたは幸せだったのかい?と題したエントリーをアップしていた。
なにげに読み出したら、止まらなくなり一気に最後まで読んでしまった。
私の父は存命だが、やるせなくなった。
介護が必要で施設に入っている、見舞いなどで月に何度か訪問する。
痴呆が進む母に比べまだしっかりしている親父だ。
ALWAYSはブームでもあるんでしょうか。映画などにもありました。
私の世代は「花の二八」といわれる昭和28年生まれです。小学生時代にはまだ蒸気機関車が走っていた、中学で東京オリンピック、高校で「大阪万博」オイルショック・バブルなどをへて現在に
ただ、団塊の世代からは少し遅れた立場だった、彼らは、ベビーラッシュで生を受け、学生運動・反戦活動、ベトナム戦争・・・・
高速道路建築・新幹線開通 本当に激動の日本のまっただ中だ
今日、あの日を思い出しました。
まだ夜が明けぬ寒い朝でした。
飛び起きて家族の無事を確認した。
少したって会社の機器が心配になった
電話は通じなかった、車で会社へ行こうとしたら、道路が通れなかった
TVのニュースではあまり騒いでいなかった。
しかしその日の夕方には、歴史的な大震災とわかる
その後、転勤になった 引っ越しをした 子供が学校を出た
子供が就職し 結婚をした そして孫が生まれた
平凡だが幸せな日々です。
黙祷
2002年春頃
ある日クラブに行くとメンバーが一人だけ、誰も未だこない。携帯電話で他のメンバーに電話をするが、午後1時ぐらいになりそうである。
仕方なく2人で取り留めの無い話で時間をつぶす。そうこうしていりと会長がやってきた。「だれも来ないのか?」とせっかくだから出すぞと、3人で船を出す。もやいをはずし先輩に教えられながらメインを上げる、ジブシートを引く、風が悪くしょっちゅう風が回る、なかなか進まない、上空にヘリが2機マーメイドの取材だろう、新西の方角にはヨットのセールがたくさん上がっている見送りや見学の船だろう。
2002年4月
ヨットクラブに入ることになりはじめての参加が淡路島への1泊クルージング。まだなにも習っていない段階で完全にお客様でした。
初めてのクルージングの日に遅刻、朝8時集合を8時半と間違えてしまった。皆さん新参者を出港準備を済ませて待っていてくれました。結局このクルージングが私の体験乗船となるわけです。早々キャビンに荷物を置き、入会金と会費を払いデッキにでる。
ヨットはエンジンでゆっくりと桟橋をはなれる
防波堤を超えるまではエンジンで走行
防波堤を超えたが、皆さんのんびりとしている
「おい GPSはセットしたか」
「270度でよかったっけ」
ヨットは、オートパイロットで早々ビールを飲みながらのクルージングとなった。
2002年4月、無事1級小型船舶免許を取得、さて次はヨットである、Webで情報を収集する、キーワードで「ヨットスクール」や「クルーザ」「クラブ」などで探してみるが、スクールの多くは、ディンギーと言う小型のヨットでスポーツ・レースなどで中年にはきつい内容が多い、希望はクルージングである。
またヨットクラブは多くは、ヨットオーナの集まりで、ヨットを持たない貧乏人には門戸は開かれていない。オーナ達の集まりである。クルー募集とはそのオーナの船の船員たちである。社会人やサラリーマンの多くのヨットマンはこの乗組員(クルー)なのです。
クル-ザを教えるスクールもあるYAMAHAやAOKIなどです。YAMAHAは2回で案外安価だが内容はいまいちです。AOKIは内容は充実している分高価である。結局、どこかのクルーに参加するかYMCA等の団体にするか迷っていた。そんなとき、AクラブのHPを見つけた。HPも良くできており好感触でした。早々見学希望のメールを出してみた。
尾道海技学院(平成14年当時)での免許取得
平成14年正月に免許取得を決め尾道マリンテクノに申込しました。当時は学科・実技ともに時間が長く7泊8日の日程でした。現在は1級でも4日になっています。
1ヶ月前
申し込みはインターネットから行いました。申し込み時に開催スケジュールを確認し日程を決めます。
後日申し込みに関する資料が学院から郵送されてきます。
合宿参加当日
新神戸から一路尾道へ、服装は私は3月のまだ寒い時期だったので、寒さ対策をして出かけました。実技は海上ですので春ともいえ寒かったです、ウインドブレーカなどあった方がいいでしょう。学科は冷暖房完備の教室ですから楽な服装でいいです。
以前この場所にjは神戸新聞会館がありましたが、平成7年の阪神淡路大震災の被害にあい2階が潰され取り壊しになりました。その跡地にこのような立派な商業ビルになっていました。
当時の神戸新聞会館には当社の神戸営業所があり、私も9年間この営業所に通ったものです。
いまはその面影は何も残っていません。
いままでお盆といえば田舎に帰って親戚の家に泊まり、釣りをしたり盆踊りをしたり、友にあったりと楽しい時間をすごしたものでうす。
最近は、親戚も少なくなり田舎に住む同級生もいなくなった、田舎に残る親戚の人も年老いて、かえって迷惑をかけるし、その子供たちも子供や孫を連れてくる年齢になった。
なにかと気まずく、田舎が疎遠となってしまいました。
近頃は両親の見舞いや、子供たちの家を訪ねるのが多くなりました。
私の田舎は、伊勢志摩から南へ車で15分ぐらい走った海と山のある何もない片田舎です。